大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和26年(ワ)8115号 判決

原告 願生寺

被告 小野千代子 外一名

主文

被告有限会社小野自動車工業所は原告に対し東京都港区芝車町十六番地一号所在原告寺境内地一反九畝十三歩五合二勺の内東南角の部分七坪五合(別紙図面「省略」青線表示の部分)及び同町無番地原告寺参道三十八坪二合一勺六才(別紙図面赤線表示の部分)において貨物及び乗用各自動車の運行、運搬、駐車、存置並びにその修理、加工等の作業をしてはならない。

原告の被告小野千代子に対する本訴請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を被告有限会社小野自動車工業所、他の一を原告の各負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告小野千代子に対し、「同被告はその所有に係る東京都港区芝車町十六番地三号所在宅地百七十五坪四合八勺のため主文第一項掲記の原告寺境内地の一部七坪五合につき通行権を有しないことを確認する。同被告は右七坪五合の土地を通行してはならない。」被告有限会社小野自動車工業所(以下被告会社と略称する)に対し主文第一項と同旨及び「訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、

その請求の原因として、

「(一)請求の趣旨記載の被告小野所有に係る東京都港区芝車町十六番地三号所在宅地百七十五坪四合八勺はもと原告寺の所有境内地の一部であつたが、同土地に関する競売事件において訴外君塚春吉がこれを競落取得し、昭和十二年五月三日その旨所有権取得登記を経由し、その結果右土地は袋地となつたので、こゝに同訴外人は原告寺の境内地に対し民法第二百十三条による通行権を取得するに至つた。しかるに原告寺と右訴外人との間に通行の場所乃至地域について紛争を生じ、同訴外人は原告寺を相手取り東京区裁判所に通行地役権袋地通行権各存在確認請求の訴訟(同庁昭和十三年(ハ)第九一八〇号事件)を提起したが、結局昭和十五年二月二日裁判外において示談成立し、原告寺は右訴外人に対し原告寺の境内地の内その東南角の主文第一項掲記の七坪五合の部分につき通行を忍受し、これに対し右訴外人は一ケ月一坪につき金二十銭の割合による使用料を原告寺に支払うことゝなつた。しかるところ同訴外人は昭和二十三年十二月二十四日に至り前記所有地を被告小野に売却譲渡し、翌二十五日その旨所有権移転登記が経由せられた。しかしながらこれよりさき、昭和二十一年六月二十八日被告小野の夫訴外小野忠勇は前記十六番地三号宅地と公道たる都電通りとの間に介在して前者を袋地と化せしめていた同町二十番地一号宅地四十三坪五合八勺を所有者訴外横川泰次郎より買受け同日その旨所有権移転登記を経由し、かつ同宅地に間口三間半の自動車通行用の通路を開設していたものであるから、前記十六番地三号宅地の所有権を被告小野が取得すると同時に、同宅地所有者のために原告寺の境内地上に存した前記通行権は当然消滅に帰したものといわなければならない。なんとなれば夫婦は異体同心のものであり、被告小野の夫訴外小野忠勇が前記二十番地一号宅地を所有することは、社会観念上から見れば被告小野が自らこれを所有するのと異らず、従つて本件の場合は袋地の所有者が自己の他の所有地によつて袋地を公道と直結せしめた場合と同視すべきものだからである。しかるに被告小野は通行権ありと称し、本件係争の原告寺境内地七坪五合の部分を通行し以て原告寺の土地所有権に妨害を加えているものであるから、原告は同被告に対し右通行権の不存在確認並びにこれが通行の禁止を求める。

(二)主文第一項掲記の原告寺参道の部分はもと六十三坪の面積を有し、原告寺の創建された寛永六年以来原告寺所有境内地の一部として参道に専用されてきたものであり、従前右参道の入口には表門及び門番所が中部には中門がそれぞれ建立せられていたが、大正末年電車通りの道路拡張のため一部収用せられて現在の三十八坪二合一勺六才に減縮せられ、その際右表門、門番所が撤去された。しかしながら今日なお原告寺関係者の出入並びに檀信徒の参詣用の唯一の通路として使用されているものである。ところで右参道は沿革上は前記の如く原告寺の所有境内地の一部であつたことが明かであるが、無番地であつたため、明治初年頃諸般の制度改革に際し国有地に編入せられ、かつ道路の形態を具備していたため公簿上国有道路として登載せられるに至つた。しかしながら本件参道は原告寺への参詣等の出入の外、一般人の通行のためには特に必要のない位置にあるものであり、道路として公共の用に供する必要を認め得ないものであるから公簿上固有道路として登載せられているとしても、道路法第三条による私権行使の制限を加うべき性質のものではない。ところで原告寺は前記の如き沿革に基き大正十年四月八日法律第四十三号国有財産法施行(大正十一年四月一日)以後は同法第二十四条第一項により本件参道に対し無償の使用権を取得したものであり、その後同法条は昭和二十二年四月十二日法律第五十三号社寺等に無償で貸付けてある国有財産の処分に関する法律(昭和二十二年五月二日施行)第九条により削除されたとはいえ、同法律は国有財産の無償使用を廃止したのみで、有償使用への転換は許容するものと解すべきであるから、これによつて当然に原告寺の右参道の使用権が消滅に帰すべきといわれはない。

仮に本件参道につき道路法の適用を免れ得ず従つて原告寺として本件参道上に私法上の使用権はこれを取得するに由なきものとしても、原告寺は前規の如き沿革に基き永年に亘り本件参道路を参道専用として使用してきたものであるから、慣行により公法上の使用権を取得しているものといゝ得る。

原告寺は本件参道の部分に対し以上の如き使用権を有しているものであるが、被告会社は原告に対抗し得る何等の権原なきにかゝわらず、右参道及び主文第一項掲記の原告寺所有境内地の一部七坪五合の部分に立入り、同所において常時貨物及び乗用各自動車の運行、運搬、駐車を行い、自動車の修理、加工等の作業をなし、特に参道上には大型トレーラー・トラツクを長期に亘り存置する等の行為に出で、原告等檀信徒の参詣のための通行及び葬儀、法要等の際における霊柩車、乗用車の通行を妨げ以て原告寺の境内地所有権及び参道使用権に対し妨害を加えているものであるから、原告は被告会社に対し前記各所為の禁止を求める。」

と陳述し、

被告等の抗弁に対し

「原告寺は訴外君塚春吉との間に被告等主張の如き通行地役権設定契約を締結したことはない。昭和十五年二月二日原告寺が右訴外人との間に結んだ契約は、さきに述べたような経緯により、同訴外人の有する相隣関係に基く囲繞地通行権の範囲を確定する等のためになされたに過ぎない。仮に右契約が地役権設定のための契約であつたとしても、当時寺院の境内地は明治三十六年内務省令第十二号寺院仏堂境内地使用取締規則第一条により『一時限リノ使用、参詣人休息所等其使用一箇年以内ニ止マルモノ、公益ノ為ニスル使用』の他は寺院以外の者の使用が禁止されていたのであるから、前記契約は無効である。また被告小野が昭和十三年以来本件係争の七坪五合の原告寺境内地の部分を通行していたとしても、当時は単に一借家人としての通行に止まり、本件十六番地三号宅地百七十五坪四合八勺の所有者としての通行は昭和二十三年十二月二十四日以降のことに属するから、時効期間の点よりするも通行地役権に関する十年の取得時効完成を云々する余地はない。」

と述べた。〈立証省略〉

被告両名訴訟代理人は「原告の請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁並びに抗弁として

「(一)、本件係争地七坪五合を含む主文第一項掲記の原告寺の境内地一反九畝十三歩五合二勺が原告寺の所有であり、東京都港区芝車町十六番地三号所在宅地百七十五坪四合八勺が被告小野の所有であること、右宅地はもと原告寺の所有境内地の一部であつたが、原告主張の如き経緯により、訴外君塚春吉がこれを競落取得し、その後被告小野が同訴外人よりこれを買受けてその所有権を取得するに至つたものであること及び訴外君塚春吉の競落取得の結果右宅地が袋地となつたことはこれを認める。而して右宅地が袋地となつた結果訴外君塚春吉において原告寺の境内地に対し囲繞地通行権を取得するに至つたことは法律上当然の筋合であるが、同訴外人は昭和十五年二月二日原告寺との間において改めて地役権設定契約を締結し、原告寺より前記宅地を要役地として本件係争の七坪五合の境内地部分につき通行地役権の設定を受けたものであり、被告小野は同訴外人より前記宅地の所有権の譲渡を受けると同時に、右設定契約に基く通行地役権を承継取得したものである。(設定契約による通行地役権は要役地の事情の変更により別段の影響を受けるものではない。)仮に右通行地役権の設定が認められないとしても、前記宅地について前示の如く法定の囲繞地通行権が存し、この権利は土地所有権に随伴して当然に移転せられるものであるから、被告小野は本件係争地七坪五合の原告寺境内地部分につき引続き法定の通行権を有するものである。前記宅地と公道との間に介在する同町二十番地一号宅地四十三坪五合八勺の所有権を被告小野の夫訴外小野忠勇において昭和二十一年六月二十八日取得したことはこれを認めるが、相隣関係における囲繞地通行権は純粋に土地所有権のみを基準として考慮せらるべきものであつて、たとい夫婦の一方が袋地の所有権を有する場合他方がこれと公道との間に介在する他の土地の所有権を取得したとしてもその権利の主体を異にする以上介在地の所有権が袋地の所有者に帰属した場合と法律上同一に論ずることはできない。従つて本件の場合被告小野の夫訴外小野忠勇が前記二十番地一号宅地を所有することは被告小野の前記法定通行権に何等の消長を及ぼすものではない。仮にしからずとするも、被告小野は昭和八年以来本件宅地内に居住して、昭和十三年本件係争地七坪五合の原告寺境内地部分に通路が開設されて以来、継続して、善意無過失平穏公然に通行しているものであるから、十年の取得時効により通行地役権を取得しているものである。

(二)、原告が原告寺の参道と主張する三十八坪二合一勺六才の部分が国有地として国道に編入されていることはこれを認めるが、右に関する原告寺の沿革は知らない。原告が右国道上にその主張の如き使用権を有することは否認する。被告会社が右国道及び前記七坪五合の原告寺境内地部分において常時原告主張の如き所為をしていることは否認する。仮にしからずとするも公共用物たる国道の通行使用に関し原告寺より拘束を受くべきいわれはない。」

と述べた。〈立証省略〉

理由

(一)、東京都港区芝車町十六番地一号所在原告寺境内地一反九畝十三歩五合二勺が原告寺の所有であり、これに隣接する同所同番地三号所在宅地百七十五坪四合八勺が被告小野の所有であること及び被告小野が右宅地より公道への出入のため原告寺境内地の内主文第一項掲記の東南角七坪五合の部分を通行していることは当事者間に争がない。

よつて次に被告小野に果して通行権ありや否やの点について按ずるに、前記十六番地三号宅地はもと原告寺の所有境内地の一部であつたが、原告主張の如き経緯により訴外君塚春吉においてこれを競落しその所有権を取得したゝめ、右宅地が袋地となつたことは当事者間に争なく、かゝる場合袋地の所有者が民法第二百十三条所定の囲繞地通行権を取得するに至るべきことは法律上自明のことであるから、右訴外人は原告寺の境内に対し右袋地のために通行権を取得したものといわなければならない。而してかゝる袋地のための通行権は袋地の所有権に随伴して当然に移転せられるものというべきであるから、被告小野において右訴外人より原告主張の如き経緯により前記袋地たる宅地の所有権を取得したことが当事者間に争のない本件にあつては、被告小野は当然に前記通行権を承継取得したものといわなければならない。

被告等は、訴外君塚春吉は右の法定通行権とは別に、昭和十五年二月二日原告寺との間に通行地役権設定契約を締結し、原告寺より前記十六番地三号宅地を要役地として本件係争の七坪五合の原告寺境内地部分につき通行地役権の設定を受けたものであり、被告小野は同訴外人より前記宅地の所有権の譲渡を受けると同時に、右設定契約に基く通行地役権を承継取得した旨主張するが、成立に争のない甲第五号証の記載、証人君塚春吉、同久家惺道の各証言を綜合し、これに本件口頭弁論の全趣旨を参酌すれば、訴外君塚春吉と原告寺との間に原告寺境内地の通行問題に関し紛争を生じ、同訴外人より原告寺を相手取り東京区裁判所に通行地役権袋地通行権各存在確認等請求の訴訟(同庁昭和十三年(ハ)第九一八〇号事件)が提起せられたが、原告寺においても、右訴外人が原告寺の境内地に法定通行権を有することは争い得ない事実なので結局示談によつて解決することゝし、昭和十五年二月二日裁判外において、原告寺は右訴外人に対し原告寺の境内地の内その東南角の主文第一項掲記の七坪五合の部分につき通行を忍受し、これに対し右訴外人は一ケ月一坪につき金二十銭の割合による使用料を原告寺に支払う旨の示談契約を成立せしめるに至つたものであることが認められ、右示談契約成立の過程に徴すれば、右は新たに通行地役権設定契約を締結したものではなく、既に存する法定通行権の範囲等を確定したに止まるものと解するのを妥当とするから、被告等の前記主張は爾余の判断に入るまでもなく失当たることが明らかである。

以上の次第で被告小野は本件係争の七坪五合の原告寺境内地部分に法定通行権を有することが明らかである。被告小野の夫訴外小野忠勇が被告小野の前記所有宅地と公道との間に介在する同所二十番地一号宅地四十三坪五合八勺を所有することは当事者間に争ないところであり、また夫婦が異体同心たるべきこともいうまでもないことであるが、相隣関係における囲繞地通行権は土地所有者の個性を離れて純粋に土地所有権そのもののみを基準として考慮せらるべきものであるから、たとい夫婦の一方が袋地の所有権を有する場合他方がこれと公道との間に介在する他の土地の所有権を取得したとしても、その権利の帰属者を異にする以上、介在地の所有権が袋地の所有者に帰属した場合と法律上同一に論ずることはできない。従つて本件の場合被告小野の夫訴外小野忠勇が右介在地を所有することは被告小野の前記法定通行権に何等の影響を及ぼすものではない。(もつとも被告小野が夫忠勇の右介在地上に通行のための地役権、賃借権等を取得した場合は別であるが本件にあつてはかゝる権利の設定ありとは認められず、夫婦の一方が他方の所有地を自由に通行することありとするも、右は夫婦関係に基く事実上の自由であつて、法律上の権利と目するを得ない。)しからば原告の被告小野に対する本訴請求は理由なきことが明かであるからこれを棄却すべきである。

(二)、原告が原告寺の参道と主張する主文第一項掲記の三十八坪二合一勺六才の部分が国有地として国道に編入されていることは当事者間に争がない。而して国道その他道路法所定の道路上に私権の行使の許されないことは同法第三条の明定するところであり、一旦道路として公用の開始がなされた以上、道路敷の状況、利用関係等に如何なる変動ありとするも、公用廃止の宣言がなされない限りは道路たる性格を失わないものというべきであるから、前記三十八坪二合一勺六才の国道敷については私権の成立するに由なきものといわなければならない。しかしながら成立に争のない甲第二三号証、同第十二号証、証人都築政市、同横川泰次郎、同楠見ワカの各証言を綜合すれば、原告寺は年代を遡ること遠くその開山以来前記国道敷に当る部分を参道として専用してきたものであり、大正末年区画整理のため撤去せられるに至るまでは右参道の入口に屋根葺き有扉の表門及び門番所が存していた次第であつて、今日に至るまで引続き右参道は原告寺への出入、檀信徒の参詣用等の唯一の通路として使用されてきていることを認めることができる。原告寺の右沿革に徴すれば、原告寺は永年に亘る慣行により前記国道敷上に公法上の参道私用権を取得しているものというに妨げない。(公の流水等については慣習による使用権例えば灌漑用水利権、流木権等の取得がつとに肯認せられているが、道路についても慣習による使用権の取得を特に排斥すべき理由はない。)而してかゝる公法上の権利はその性格上妨害排除の権能を具有するものというべきである。

ところで成立に争のない甲第十号証の一乃至六、同第十三号証の一乃至四、原告寺代表者遠藤荘然本人の供述及び検証の結果を綜合し、これを本件口頭弁論の全趣旨を参酌すれば、被告会社は自社内に表電車通りに面した自動車用の通路があるにかゝわらず、営業上の便利のため、ことさら右参道とこれに直結する主文第一項掲記の原告寺境内地の一部七坪五合の部分を利用して貨物及び乗用各自動車の運行、運搬をはかり、或いはその駐車または存置をなし、またはその修理、加工等の作業を行い、将来もかゝる所為を繰返すおそれのあることが窺知せられ、かくては幅員六、一五米に過ぎない前記参道としては交通の妨害となることはいうまでもなく、原告寺檀信徒の参詣のための通行及び葬儀、法要等の際における霊柩車、乗用車の通行に障碍を来すことは明かであるから、原告寺は前記参道の使用権及び境内地の所有権に基き被告会社に対し右の如き各所為の禁止を求め得るものといわなければならない。公共用物たる国道の通行使用といえども、これによつて、その上に存する権利に妨害を加えることは許されず、他に被告会社が原告寺の右参道使用権及び境内地所有権に対抗し得ると認むべき権原については何等の主張も立証もない。しからば原告寺の被告会社に対する本訴請求は正当としてこれを認容すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 古山宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例